2014年11月7日

第73回 『物体X』のとりこになる

 1954年が私にとって重要なのは、11月に映画『ゴジラ』が公開されたこともあるが、なによりも私の父・画家の小野佐世男が2月1日、48歳の若さで急逝したからだ。

 それはアメリカの映画女優マリリン・モンローが、新婚の夫でメジャー・リーグのスラッガーであるジョー・ディマジオと来日する日だった。父は週刊サンデー毎日の依頼で、帝国ホテルに宿泊するモンローを取材することになっていた。

 しかし羽田空港で大歓迎陣にむかえられたモンローのホテル到着が遅れたので、父は有楽町の日劇ミュージック・ホールに知人を訪ねようと階段を登る途中、心筋梗塞で倒れたのだった。このことは、例えば吉行淳之介の短編『踊り子』のなかで触れられているように有名で、小野佐世男を語るとき、しばしばこのことが引きあいに出される。2012~2013年にかけて川崎市岡本太郎美術館で催された「小野佐世男 モガ・オン・パレード」展の最後の部分に「モンローに会えなかった」ことが示されていたが、同館の名誉館長である村田慶之輔氏は、この展覧会の図録の巻頭に「モンローが会えなかった男」と題する文章を寄せた。

 なるほど、視点をかえれば、マリリン・モンローは「女性を描いては並ぶ者なし」と言われた日本の画家に、自分の絵を描いてもらう機会を逸したことになる。これは意表をついたすばらしい文章だった……。



 その頃、『ゴジラ』のほかに私をとらえてしまった映画は、1950年代初期のアメリカの一連のSF映画である。

 まず小学校6年のとき、母に連れられてジョージ・パル製作の『月世界征服』(1950)を見て、宇宙空間のロケットの飛行を科学的に正確に描いた場面に息をのんだ。

 この映画のなかに、月に到着した宇宙飛行士のひとりが、あたかも地球から見る月のように遠く見える地球にむかって片手を上げる場面がある。その手の上の位置に丸い地球が輝いている。「地球を支える巨人アトラスだ」と、宇宙服姿のそのアストロノーツは言うのだった。

 この映画を、父は映画配給会社の試写で見てきたのだろう。35ミリフィルムのこの場面の2コマ分を切ったものを、父はたまたま、映画会社から貰ってきていた。

 「小野先生、あのフィルムのコマは、可燃性フィルムなので危険です。取り扱いにお気をつけください」と、翌日あわてて電話をかけてきたのは、その切り取ったフィルムの断片を父にあげた映画会社の人だった。

 当時の映画フィルムは、まだ可燃性のニトロ・セルロースで出来ていた。それは小学校で使うセルロイドの下敷きも同じだった。セルロイドの下敷きを細かくハサミで切り、アルミニウム製の鉛筆キャップに入れ、口を閉じ、マッチの火を近づける――という遊びを小学生の私は弟と一緒に、家の庭で何度もやったものだ。熱せられたアルミのキャップは、それこそロケットのように飛んだ……。

 中学生になると、続けざまに私は、ジョージ・パル製作のSF映画『地球最後の日』(1951)と『宇宙戦争』(1953)を、夢中になって見た。『月世界征服』のフィルムのコマは、私が大切に持っていたはずなのだが、いつのまにか紛失してしまって、今はない……。



 そのほか、ハワード・ホークス製作による『遊星よりの物体X』(1951)にも魅せられた。この映画のポスターは、当時の成城学園前駅の壁に貼られており、アメーバ状のものが氷原に広がっているようなイメージに興味をそそられた。

 「Xというのは、数学では未知数を表すために使われる。『物体X』という映画があるだろう? あれも未知の存在を意味しているんだよ」

 中学校の理科の先生が話したのをいまだに覚えているのは、この傑作SF映画と結びついているからだ。

 「日本が戦争中に開発した兵器で優れていたものに、零式戦闘機などのほかに酸素魚雷がある」などという話をしていたこの先生はスキーが好きで、その先生にうながされて私は冬のスキー合宿に参加した。今も銀座にある好日山荘というスキー用具店に先生に連れていかれて、スキー用具を買った。当時のスキー板は一枚板の単板だった。合宿には体育の先生や上級生たちも一緒で、そこで学んだのはスキー技術だけではなかった。

 スキー旅行にバター半ポンドとチーズ・クラッカーひと箱を持っていくべきだ――ということを私は知った。スキーで滑ったあと、仲間でこたつを囲みながら、チーズ・クラッカーでバターをすくいながら食べるほど美味しいものはないのである。


中学卒業後、成城学園の高校に進む気はなかった。父が亡くなり、学費の安い都立高校に進もうと考えた。勉強をして都立新宿高校に入学したかったが、あせって気持ちが乱れ、受験に失敗し、滑り止めに受けた学芸大学附属高校に入学した。

 母と一緒に東京学芸大学附属高校に入試の結果を見に行った帰り、映画館でジョージ・パル製作の新しい映画『宇宙征服』(1955)を見たことを覚えている。

 だがこの高校は初めから仮の場所と思っていた私は、一学期だけそこにいて、目的の都立新宿高校の編入試験を受け合格した。正規の入学試験よりはるかに難しい途中入学の補欠編入試験に受かったのだから不思議なものだ。

 東京学芸大附属高での短い滞在も楽しかったといえよう。ここでも体育の時間に野球があり、「おまえ、キャッチボールからやり直せ」とクラスメートに言われたものだが、あるときどう間違ったのか打球が飛び、「なにしろ小野が二塁打を打ったんだからな」と、あとでひとしきり話題になったものだ。



 成城学園中学校の卒業式には、私は卒業生代表として答辞を読んだ。



*第74回は11/14(金)更新予定です。


■イベント情報■ 

【ガイマン賞トークイベント】
小野耕世、大いに語る!ガイマン賞2014ナビ

半世紀近く海外マンガ=ガイマンの翻訳と紹介に
たずさわってこられた"ガイマンの父"小野耕世氏。
その小野氏と共に、今年のノミネート作品を概観しつつ、
ガイマンの現在、過去、未来について熱く語らいます。  
ガイマン賞についての詳しい情報は コチラ から>


【日時】 2014年11月8日(土)16:00‐17:30
【場所】 米沢嘉博記念図書館 2階閲覧室
【出演】 <特別ゲスト>小野耕世(翻訳家)
     原正人(BD翻訳者)、椎名ゆかり(米コミックス翻訳者)
【料金】 無料  ※会員登録料金(1日会員300円~)が別途必要です。
*会場が混み合う場合、入場をお断りすることがあります。ご了承ください。
http://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/archives/t_event53.html


<出演者プロフィール>
○小野耕世 (おのこうせい)
1939年東京生まれ。国士舘大学21世紀アジア学部客員教授。海外コミックの翻訳・紹介の第一人者として、2006年に第10回手塚治虫文化特別賞を受賞。著書に『アメリカン・コミックス大全』、主な訳書に『マウス』『パレスチナ』『皺』などがある。最新の翻訳作品は小学館集英社プロダクション刊『リトル・ニモ 1905-1914』。

○原正人 (はらまさと)
BD翻訳者。訳書にバスティアン・ヴィヴェス『ポリーナ』(小学館集英社プロダクション)、マリー・ポムピュイ、ファビアン・ヴェルマン&ケラスコエット『かわいい闇』(河出書房新社)など。『はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド』(玄光社)監修。

○椎名ゆかり (しいなゆかり)
米コミックス翻訳者。訳書にフェリーぺ・スミス『ピポチュー』 (講談社)、アリソン・ベクダル『ファン・ホームある家族の悲喜劇』、チャールズ・バーンズ『ブラック・ホー ル』、ファビオ・ムーン、ガブリエル・バー『デイトリッパー』(すべて小学館集英社プロダクション)他。