2014年9月26日

第68回 職員室での対決

職員室のドアは閉まっていたが、追いつめられている私は、そのとびらを押して、Kたちと一緒になかに入った。

 先生たちは、ほとんど帰ってしまったあとで、私たちの担任の馬場先生の姿はない。ただ、ドアを開けた左側で、先生がふたり座って碁を打っていた。ひとりは私たちにH・G・ウェルズの『宇宙戦争』の話をしてくれた理科の先生で、もうひとりは美術の藤原先生である。

 ふたりとも、どやどやと職員室に入り込んできたKの仲間と私をちらっと見たが、なにも言わない。なお、碁を打ち続けている。

 「あやまれ」とKが私に言う。「あやまらない」と私が応じる。そのやりとりが、職員室に響いている。

 そこに入ってきたのは、さきほどから職員室に入っていく私たちを離れて見ていた用務員の武藤さんだった。生徒たちには、ムーちゃんと呼ばれ親しまれている。

 その小柄なムーちゃんが、ひょこひょこと職員室にあがってくると、「いったいどうしたんだね」とやさしく話しかける。

 「こいつ、生意気なんだ」とKが言った。「あやまれって言うのに、あやまらないんだよ」

 「そりゃ、小野くんも男だから、あやまれって言われたって、あやまれないだろう」

と、武藤さんが言ったので、私は内心びっくりした。この小学校の生徒の数は多くはないとはいえ、ムーちゃんは私の名を知っていたのだ。さらに、「男だから」などと自分のことを言われたのも、生まれて初めてのことだった。

 ムーちゃんとKとのやりとりが続き、「まあ、今日はもうきみたち、けんかはやめて帰りなさい」とムーちゃんがやさしく言い、このまま問答を続けてもしかたないとKもあきらめたのだろう、結局、Kも私も、水が入ったようなかたちで黙って職員室を出て帰った。

 そのあいだ、碁を打っていたふたりの先生は、ちらっちらっと争っている私たちを見てはいたが、なにも言わず、まったく介入しなかった。



 その翌朝、最初のクラスの時間に担任の馬場先生が入ってくると、いきなり「前の日の事件について、これから皆の話を聞く」と厳しい声で言われた。それでこの日の午前中は、この事件についての(いまでいう)ホーム・ルームというか、先生が生徒たちに事情聴取をする会となった。

 この事件の最初のきっかけがいったい何だったか、私は覚えていない。私がKになにか本を貸さなかったとか、その逆だったのか、そんなことをKが言った。「でも、本には所有権というものがあるからね」と馬場先生は言った。「いや、小野は生意気なんだ」とまたKが言った。馬場先生は笑った、「あのな、誰かを生意気と言うときは、たいていそう言うほうが生意気なんだよ」

 私やKとその仲間以外の生徒たちにも、先生は意見を求めた。だんだん緊張したクラスの雰囲気がなごやかになってきたのは、その過程で、生徒たちの日常が語られていったからである。例えば、「小野はクラスのTちゃんという女性が好きなんだよ。彼女を駅で待っていたんだぜ」というような話をする者も出てきて、馬場先生も大笑いした。私自身も発言したはずだが、なにを話したかよく覚えていない。

 成城学園の正門のところで、Kが私に倒されたことを目撃者の生徒が言うと、「あのときは油断してたんだ」とKが言った。

 私は言いたいことを言うから、ちょっと生意気と思われるかも――と私も自分のことを思った。私を支持してくれて、『飛ぶ教室』を買ってきてくれたTという男とは、すっかり親友となっていた。私はこの事件を、『飛ぶ教室』の主人公マルティン・ターラーが別の学校のグループと戦った事件と重なる思いで受けとめていた。ただし、正義漢のマルティンは私ではない。頭が良くて体格もいいTこそがマルティンのようだと思って、私は敬意を表していた。

 「今度の件は、まあ7割は小野のほうが正しかったな」と、Tや私の味方の友人たちがあとで私に言った。百パーセント私が正しいと言わないのがおもしろいと思った。「いや、9割は小野が正しいよ」と、しまいには皆で言い合って笑った。

 それにしても、この学校の先生は偉いなと、あとで私はつくづく思った。私たちが職員室に乱入してけんかをしていても、碁を打ちながらひと言もしゃべらなかったふたりの先生たちは、実に見事ではないか。しかし、ふたりの先生は、馬場先生にこのことをすぐに知らせたのだろう。それで翌朝のクラスをあげての討論会になったのだ。

 また、私たちのけんかに割って入った用務員のムーちゃんも偉かったなと、いまでも思う。黙って碁を打っていた先生と、介入してくれた用務員――みなすごい人たちだった。

 私にとって成城学園小学校の時代が重要なのは、この事件が現在の私を創ってくれたかもしれないからだ。





*第69回は10/3(金)更新予定です。


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