2013年6月7日

第5回  トンボ刺繍のシャツ

 『フクちゃんの潜水艦』というアニメーションは、海軍省後援として作られたもので、つまり海軍が製作費を出した国策映画であった。

 その監督を務めたのは、持永只仁(1919-1999)というアニメーターであったが、彼の名前は〈撮影〉としてクレジットされており、監督の名は関屋五十二という、この映画とは無関係の人となっていた。これは当時の映画業界の規則のためだということを知ったのは、ずっと後のことで、成人した私が日本のアニメ史の研究めいたことを始めてからである。そして、持永氏に会い、いっしょに中国の上海アニメーション・スタジオを1980年代に何度も訪れることになるとは、まだ幼児であった私は、もちろん夢にも思わなかった。

 だが、日本がどこかと戦争をしているという周囲の雰囲気は、子どもにも感じられた。私の最初の記憶のひとつに、だれか出征する(戦争に行く)人を見送りに行った風景がある。どこか鉄道の駅で、その人が軍服を着て列車に乗りこむのを、たすきをかけた人びとが日の丸の小さな旗を振って見送っていたような、実景でありながら、いまでは映像のように思い出すその人びとのなかに、私は母に抱かれてか、またはおとなたちのあいだに立って見ていたのか。見送られていた人は、親戚のだれかだったのではないかと思うが、はっきりしない。そのことを後になって母に改めてたずねてみることもしなかったからだ。

 それから、たぶん母に連れられて、井の頭線の現在の新代田の駅にいたとき、駅の端のほうに、ひとり若い兵隊が立っていたこともある。そのことをいまでも覚えているのは、子どもの好奇心で、じっと見ていると、その兵士は指で鼻をほじくったので、兵隊さんでもそんなことをするのだと、印象に残ったからだ。

 また、飛行機のなかにはいったことがある。どこか、公園のような場所に、ほんものの飛行機が展示されていたのだが、それは日本軍が撃ち落した敵の飛行機の一部だったのかもしれない。飛行機の胴が途中で輪切りにされたような状態でそれは置かれていて、そのなかにはいれるのだ。はしごがつけられていたようでもあるし、母が私を抱きあげて乗せたのかもしれない。とにかくそのなかは、子どもの私が立つと余裕がある高さで、ずいぶん飛行機は大きいのだなと驚いたものだ。

 そのとき私は、半そでのシャツを着ていたのだが、それはカーキー色で、ポケットのついた胸には、トンボの姿が刺繍してあった。赤トンボだったかもしれない。

 トンボとは飛行機を意味し、つまりは軍用機、空軍である(もっとも日本には陸軍と海軍しかなかったが)。つまり、軍事色は子どものファッションにもおよんでいたのだと、いま思い返すのだが、子どもの私は、トンボの姿がおもしろいという程度の気持ちでシャツを着ていたのだった。




 「若い血潮の予科練の、ななつボタンはさくらにいかり……」という海軍航空青年の歌が、その頃周囲で歌われていたことを思い出したのは、数年前に作家・獅子文六(1893-1969)の全集16冊を古書店で購入して読んだときである。戦時の雰囲気を、この作家の文章は、いきいきと伝えている。幼児の服のトンボのデザインも、この予科練の歌につながっていたのではないだろうか。

 飛行機が展示されていた公園や神社のかこい、柵に使われていた鉄の棒は、さびていたが、みな切断されていた。兵器の材料として〈供出〉されていたからで、それはもう珍しくない風景だった。

 私の家の前の道を下り、通りを横切って坂をあがったところは、小田急線の世田谷代田駅のすぐそばだが、そこにこのあたりの大地主の家があった。ある日、その家がすべてとり壊されていた。

 空襲があったとき、家がたてこんでいると火災がひろがるので、家と家の間隔をあけるために、いわば家を間びいて壊してしまうという、防空上の方針のためだったようだが(それもあとで知ったのだが)、なにも悪いことをしていない人たちの住んでいる家を一方的に壊してしまうとは、ひどいことをすると思った。大地主だったから、そんな目にあったのだろうか。

 つまり、その頃は、すでに日本は東京も含め、アメリカ軍の空襲下にあったのだ。私の家の門の横には、〈防火用水〉と記したコンクリートの水置きがあったが、家事や空襲にそなえてのもので、たいていの家にはあった。

 日本がアメリカと戦争をしていることを、子どもの私は、はっきり理解していたとは言えない。ただひとつ、覚えていることがある。近所の子どもたちといっしょに遊んでいるとき、子ども仲間でも年長のお姉さんだった人が、小さな竹の棒かなにかの木片を持ち、子どもたちの腕に、ちょうど注射をするときのように押しつけて、こう言った。

 「痛いと言ったらアメリカ人よ。日本人なら痛くないはずよ」

 私は、もちろん痛いのだが、そのお姉さんが恐ろしくて「痛くないよ」と、無理をして答えたのだった。




*第6回は6/14(金)更新予定です。