2014年6月13日

第54回 『宇宙戦争』の洗礼を受ける

 「ある日、ロンドンの郊外に円筒が落ちてきた」

 成城学園小学校の理科の授業で、山田先生は、4年生の私たちのクラスで、話し始めた。

 火星から飛んできた金属製の大きな円筒(シリンダー)が、ロンドンにいくつも落ちてきた――というのは、いまではほとんどどの小学生でも知っているであろう、H・G・ウェルズのSF『宇宙戦争』の出だしである。

 だがこのころ、『宇宙戦争』の日本語訳は、子どもの手のとどく範囲にはなかった。

 子ども向けの本としても出ていなかったこのお話に、クラスの36人全員が夢中になった。

 長身でメガネをかけた山田先生は、当時おいくつだっただろうか。

 「円筒のふたが、ジリッジリッと回転しはじめ、ついに円筒のふたが開くと、なかから火星人の手がのびてきて……」

という話を、山田先生は、まるで見てきたように、こまかく説明する。生徒たちはそのひとことも聞きのがすまいと、まさに水を打ったように静かに、火星人の地球襲撃の物語に聞きいったものだ。

 小学校の授業は、一回が45分程度だったと思うが、クラスの生徒たちは(男の子だけでなく女の子も)みな山田先生の次の週の授業が待ち遠しくてしかたなかった。

 そして『宇宙戦争』の話は、4週続いたのである。四回にわたって、先生は実にわかりやすく、物語の細部を克明に、いきいきと語って、生徒たちをとりこにしてしまったのだった。

 「これはイギリスのH・G・ウェルズという人の小説ですが、こういう話を書くひとがいるんだよ」

と山田先生は、『宇宙戦争』の話を終えると言った。「ほら、そこにいる横溝のお父さんなんかが、こういうお話を作って書き、そこの小野のお父さんのようなのが、絵にするんだよ」

 生徒たちは、どっと笑った。白樺組のクラスの同級生には、横溝瑠美子という女の子がいて、彼女は探偵小説作家・横溝正史のお嬢さんなのだった。そして、私の父は小野佐世男というマンガ家なので、それを知っていた山田先生は冗談を言ったのである。

 ともかく、山田先生のおかげで、私たちは『宇宙戦争』について知ったのだった。そのことは、いまでも忘れない。

 中学生になったとき、私は『宇宙戦争』の翻訳は出ていないかと調べ、小山書店から出ていることを知って、本屋に注文した。待ちかねて受けとったその小野協一訳による『宇宙戦争』は、もちろんおとな向けの本で、本のカバーの抽象的なデザインがしゃれていた。私が最初に買った『宇宙戦争』の翻訳本として愛着があり、いまでも大事に持っていて、読み返すこともある。

 1953年、私が中学生のころ、もうひとつの翻訳が出た。ジョージ・パル製作、バイロン・ハスキン監督によるテクニカラーの色彩がすばらしいアメリカ映画『宇宙戦争』が公開されたからだった。

 それは日本出版協同が出していたサスペンス・ノベル全集の1冊として刊行された別の訳者による翻訳で、カバーに映画『宇宙戦争』の場面写真が使われていたのが魅力的で、私は『宇宙戦争』も後に買うことになる。

 それやこれやで、いまいったい私は、何冊の『宇宙戦争』の訳書を持っていることだろうか。その後は子ども向けの本も出ているし、文庫版も各種出ている。もちろん私は、ペンギン・ブックスで出ていたイギリス版も持っている。

 もう何年も前のことだが、マンガ家の黒田硫黄さんに作品の寄稿を頼みたい――とアメリカの『コミックス・ジャーナル』という雑誌の編集者から連絡を受け、東京・銀座の行きつけのコーヒー・ショップで、黒田さんにお会いしたことがある。

 自転車で銀座まで出てこられた黒田さんと、いろいろお話をしているうちに、H・G・ウェルズの『宇宙戦争』が話題となった。黒田さんのマンガのなかにSF的な内容のものがあることに興味をもった私が「SFはお好きですか」と質問したからだろう。

 『宇宙戦争』は10歳のころから読んでいて、もう十数回も読んでいますよ――と、黒田さんが言われたときには、嬉しかったものだ。

 もしよろしければ『宇宙戦争』の絵を描いていただけませんか――と、おそるおそる私がスケッチ・ブックをさしだすと、黒田さんは、火星人の巨大な三脚のウォーマシンが、熱線を発して歩いている場面を、すらすらと描いてくださった。

 いまでも私は、これまでに読んできた世界のSFのなかで、H・G・ウェルズの『宇宙戦争』が、最も好きな作品のひとつである。

 ロンドン郊外のウォーキングのあたりを、主人公が歩いている姿が目に浮かぶようだ。静かな日常の風景が、火星人の襲来によって変っていくありさまが、無理なく描かれている。決して古くならない。読み返すたびに、さまざまな味わいのある作品だろう。

 しかし、理科の山田先生は、こわい人でもあった。





*第55回は6/20(金)更新予定です。