2014年9月12日

第66回 手塚マンガを隠す

 「耕世ちゃん、いま手塚治虫の本、隠したんじゃないの?」

 私の家の窓を開けると、私にそう言ったのは、二軒となりの家に住む令子ちゃんだった。私が小学3年で、彼女は5年だった。

 「ち、ちがうよ。手塚の本なんて持ってないよ」

 私は、あわてて言った。子ども時代の2歳差は大きい。彼女は、ずいぶん年長のお姉さんに見えた。

 「ほんと?」と彼女は、部屋のなかをながめると、不満そうな顔で帰っていった。

 私はほっとして、あわててざぶとんの下に隠した手塚治虫の新刊『月世界紳士』や『ロストワールド』などを取り出した。

 その頃はだいたいどの家にも庭があり、子どもたちのあいだでは、家のあいだの境界はないようなものだった。いつも遊んでいる近所の子どもたちは、勝手に友だちの家に出入りしていた。

 私の家は門や裏木戸から誰でも入れる。私や弟がよくいる部屋は、門に近い四畳半で、窓は開けてあることが多かった。

 子どもたちのあいだで手塚治虫のマンガは人気があり、特に令子ちゃんは、私が母に手塚マンガの新刊を買ってもらうのを待っているのだった。自分の親に買ってもらえばいいのに――とは、いまになって思うことで、それぞれの家に事情があったのだろう。

 私は手塚マンガを、いろいろな場所で買った。『平原太平記』という箱入りの新刊を見つけたのは、ある年の夏、一家で鎌倉の由比ヶ浜に近い江ノ電の線路に面した家を借りて一週間ほど滞在したときのことだった。鎌倉の町を歩きながら目にした本屋にその本があったのだ。まるで宝ものを見つけた気持ちだった。

 そのときの私は、弟と一緒に捕虫網を持っていたはずだ。鎌倉の大仏を見に行くと、セミの鳴き声が激しく、私は大仏のまわりの木でセミを捕ったりした。

 借りていた家は避暑用に作られた建物で、弟と私は列車の寝台車のような二段ベッドの上と下に寝るのが、おもしろくてたまらない。窓の外を江ノ電が通る音も楽しく、昼間にこっそり線路に降りると、まわりの石垣のすきまには小さなカニがいた。弟とよくそれを捕った。

 朝の6時に、父が私を連れて由比ヶ浜から材木座に向かって浜辺を歩いていくと、投網をして魚を捕っている人の姿があった。

 「おい、横山」と父がその小柄な人に声をかけた。「小野ちゃんか」と相手が笑顔になる。彼は、戦時中インドネシアで父と一緒の家に住んでいたマンガ家の横山隆一氏で、鎌倉に住んでいるのだった。私は恥ずかしくて、ろくにあいさつもできなかったが、『フクちゃん』という新聞連載マンガでその頃人気のあったこのマンガ家に、初めて会ったのだった。

 母と小さな妹も含む私たちの一家五人が一週間も生活を共にするということは、ほとんどなかったので、手塚治虫の傑作『平原太平記』とともに、鎌倉ですごした時間は、私にはなつかしい。





 近所の子どもたちは、よく私の家に来て、庭で遊んだ。私が自転車に乗ることを覚えたのは小学5年のときだったが、このときも近所の子どもたちが手伝ってくれた。

 庭で練習をする私の自転車を、うしろで仲間が支えてくれた。「手を離しちゃダメだよ」と、私は言っていたが、いつのまにか彼らは手を離していて、私は自転車に乗れるようになるのだった。私の手塚治虫の本をいつも狙っている令子ちゃんも、子どもたちが豊島園の遊園地に遊びに行くときは、お姉さんとして引率者になってくれた。

 もちろん近所の子どもたちとの関係は、小学校のクラスの仲間たちとのかかわりとは、まったく別だった。

 前回書いた背の高い同級生は、ことによったら全校でいちばん長身だったかもしれない。Kという名のその長身の級友の身長は180センチ近かったのではないか。彼も小田急線で通っていたが、定期券ではなく、切符を買っていた。

 「どうして子ども用の定期券を買わないの? ずっと安いのに」と私が聞くと、

 「ダメなんだ。背が高いから小学生の定期を見せて通ろうとしても、駅員が信用しないんだ。あんたは大きいから、おとなの切符を買ってくれ、いつもそんなふうに言われてしまうので、切符を買うんだ」と言う。私は内心、それはおかしいと思った。背の高い小学生からおとな料金を取るのなら、子どもみたいに小柄なおとなは、子ども料金でいいことになる。小田急はおかしいと――そう思ったが、おとな扱いされることに慣れてしまったKは、あきらめているのだった。

 Kは背が高いこともあって、野球などは得意だった。そして、彼の仲間というよりも、彼の子分のようになっていつもKとつるんでいるクラスメートたちがいた。Kは男の子たちのあいだでは、クラスのボスのような存在だった。

 本ばかり読んでいる私は、Kとは反対の性格だったかもしれない。別に私はKが嫌いではなかったが、なんとなくKとその子分たちに睨まれるようになった。「あいつは生意気だ」と私は思われているようだった。

 そういうことは、クラスの男の子たちのあいだでは、なんとなくわかってくるものである。私の仲間というのもいて、例えばそれは私よりあとに、成城学園の初等科に転入してきた生徒たちだった。そのなかで、スポーツ系でない子どもは、Kたちにいじめられることがあり、自然に私は彼らをかばうようになった。

 私の側についてくれる仲間に、ひとり頼もしいTという男がいた。

 本が好きで、いろいろな本を学校に持ってきては、「おもしろいぞ」と言って貸してくれる。彼は東京の郊外、少し遠くから成城学園に通っていて、私と同じく、エーリヒ・ケストナーの本が好きだった。

 ある日、彼が新しいケストナーの本を持ってきた。それは、日本で初めて刊行された高橋健二訳の『飛ぶ教室』(実業之日本社刊)だった。ハードカバーのその本の表紙は、中学生のふたつのグループが雪のなかで対決している絵が描かれている。

 私の家の近くの本屋に、その本はなかった。「じゃ、ぼくがもう一冊買ってきてやるよ」と彼は言った。定価180円という本の値段をいまでも忘れないのは、お金を渡して同じ本を、彼に買ってきてもらったからだった。

 こうして私は、子ども時代の私に最も影響を与えた本のひとつである『飛ぶ教室』を入手することができたのである。私はたちまち、この物語に夢中になった。

 そのとき、小学5年生だった私は、この物語にやや似た状況のなかに自分がいるのだと感じたのだった。



*第67回は9/19(金)更新予定です。


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