2014年12月5日

第77回 宇宙時代の幕あけに……

私の新宿高校時代に、アメリカのSFが新書版で2冊出た。

 アイザック・アジモフの『遊星フロリナの悲劇』(後に早川書房から『宇宙気流』のタイトルで新訳が出る)と、A.C.クラークの『火星の砂』で、すぐに買った。

 その時、同級生のひとりが、どうしても貸してくれと言って『火星の砂』を持っていったが、失くされてしまった。後に早川書房から出た新版はもちろん持っているが、日本で最初の訳である室町書房版には愛着があったのに……。

 そんなふうに、私が本が好きなのはすぐに知られて、学期ごとのクラス委員では、私はいつも図書委員に選ばれた。

 図書委員は、図書室に本を借りにくる学生に応対するほか、暇な時は本を読んでいてもいい。なにしろ本に囲まれているのだから、こんな楽しいことはない。それに図書委員は、普通の生徒よりも一度に多くの本を借りることができるのだ……。

 そうしたら、ある学期初めに「おれ、立候補する」と手をあげて、図書委員になった級友がいた。彼は演劇部と美術部に入っていて、美術部で一緒の面白い男だった。図書委員の仕事が楽なことを知っていたのである。私は自分で立候補したことなど、何事によらず一度もない……。

 図書室で借りて読んだ本で、今でも覚えているのは加茂儀一著『榎本武揚』という伝記(後に中央文庫に入った)で、函館の五稜郭で戦った榎本は、獄中にあっても妻に石鹸の作り方を手紙に書いて教えたということなどを知り、感心した。

 映画も良く見た。

 高校で団体で見に行った映画に、ジョン・ヒューストン監督の『白鯨』(1956)があった。国語の先生は「エイハブ船長の役がグレゴリー・ペックでは少し弱いと思いますが」と言っていたが、レイ・ブラッドベリが脚本を書いたこの映画が私は好きだった(現在では、グレゴリー・ペックの演技は見直され、高く評価されているようだ)。

 上野の美術館で「ルーブル美術館展」が催された時も、学校から団体で見に行き、私はどの学生よりも長く見ていたと思う。そして、その帰りに丸の内ピカデリー劇場で、ジェイムズ・ディーン主演の『エデンの東』を見た。そのプログラムは今でも持っている。

 『高校三年』というイタリアの青春映画が新宿の映画館で封切られた時は「いやあ、新宿高校の生徒さんで連日いっぱいですよ」と、劇場支配人が語ったほど人気があった。私は同時上映の『やぶにらみの暴君』というフランスの長編アニメに夢中だった(ポール・グリモー監督のこの傑作は、後に『王と鳥』として1970年代に監督自身によってリメイクされ、ジブリ美術館配給により日本公開された)。最初に公開された時の『やぶにらみの暴君』の日本版ポスターを、私は持っている。

 『ゴジラ』以来、東宝の特撮映画は必ず見ていた。ディズニー・プロが作った劇映画『海底二万哩』(1954)も良かった。



 日本宇宙旅行協会の会員であった私は、会長の原田三夫氏が機関誌の『宇宙旅行』のなかで、遠くの星の光がスペクトル分析で赤色にずれる「red shift」のことを<赤色変化>と記しているのを見つけ、「あれは<赤方偏移>と訳すのが正しいのではないでしょうか」と、生意気にも手紙を出したことがある。「最近は赤方偏移と呼ぶことが多いようですね」と、非常に乱れた文字で返事が来た。原田先生は当時、手を骨折されて、ペンがうまく握れないのだった。それは中学時代の私の右腕の怪我と同じなので、失礼な手紙を差し上げてしまったことを後悔したものだ。なにしろ私は、中学時代の1952年以来、誠文堂新光社刊の『天文年鑑』を毎年買っていたから、天文学の最新情報に詳しかったのである。

 そんな私だから、1957年の年賀状には、版画で月に接近しつつあるロケットを描いた。それを新宿高校の英語の先生に出すと、返事が来た。「ベビームーン、ベビームーン、いつ頃月に行けるやら」と、私をからかうような、詩のような書き文字がそれにはあった。月旅行なんて不可能だよ、と言われているような気がしたものだ。

 この年の10月、ソヴィエトが世界最初の人工衛星スプートニクの打ち上げに成功。世界中が騒然とし、アメリカはソヴィエトに先を越されたと慌てた。

 高校の先生よりSF少年の自分のほうが先を見ていたんだぞと、私は内心思った。

 この時、東宝は『地球防衛軍』を正月映画として撮影中だった。公開時に作られたポスターのひとつには、真ん中に大きく球形の人工衛星がデザインされていた。このポスターは、基本のポスターとは別なので、あまり知られていない。



 高校時代に買いたくてたまらなかった本がある。

 アメリカの週刊グラフ雑誌『ライフ』(LIFE)に「われらの住む世界」(The World We Live In)というカラー連載の読み物があった。地球誕生からの歴史が、想像をそそる、大きくて美しい科学的に正確な絵によってつづられていた。

 地球や月、太陽系の生まれる天体画は、チェズリー・ボーンステルというアメリカの天体画家(この画家を、1980年に私はカリフォルニアで訪ねることになる)が描いていて、息をのむ美しさだった。この連載を、私は中学時代から見ていたが、高校の頃に単行本となった。私はその大判ハードカバーの本を、新宿の紀伊国屋書店の洋書売り場で見つけ、手に取り、ほれぼれと見ていたが、5千円の本は当時の高校生には買えなかった。

 何年か前、藤子不二雄Ⓐ(安孫子素雄)さんの連載マンガ『愛…しりそめし頃に…』を読んでいたら、この本の場面が引用されていた。

 「そうか、安孫子さんはマンガを描く参考に、あの5千円の洋書を買っていたのだな」と思った。実は、マンガ家のやなせたかし氏の仕事場にもその本があった。私が買えなくて涙をのんだ話をしたら、「そりゃ、当時の高校生じゃ買えなかったよなあ」と同情してくださったが、私に本をあげようとは言わなかった……。



*第78回は12/12(金)更新予定です。